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イタリアの建造物耐震基準と地震を取り巻くアレコレ

2016-08-26
2016年8月24日未明に中部イタリアで発生した地震。
これにより特に山村部に大きな人的被害が出ました。中でもパスタソース(って言うんでしょうか?)の一種マトリチャーナ発祥の地として有名なAmatrice(アマトリーチェ)村は壊滅的打撃を受けました。

2009年の地震で大きな被害の出た L'Aquila(ラクイラ)はこのアマトリーチェ村の南方約55km。
日本人的には過去の教訓が一切生かされていないように見える、イタリアの現状には訳があります。
ちょっと長いので、興味のある方だけどうぞ。
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《耐震基準をめぐるアレコレ》
イタリアの耐震基準は、建物が建造された当時の法律を守っていれば良いとされています。(ちなみに、耐震基準に関する法律が整備されたのは70年代です。)
1980年に建造されたアパートは1980年当時の耐震基準をクリアしていれば良く、法律が整備される以前に建造された建物は、耐震化工事をする必要はありません。
さらに、例えば200年前に建造されたアパートを購入して簡単な内装リフォームをする場合、現在の耐震基準に近づける為の工事をする必要はありません。大幅なリフォームや外装に手をつける際にのみ、現行基準が適応されます。(本来はもう少し複雑なのですが、ざっくりと説明しています)

耐震化工事には相当な費用がかさみます。(というか、個人が調達できるレベルの金額では済まない事も多いです)
よって、多額の費用をかけいつくるかわからない地震の為の工事をするよりも目先のバカンス先が気になるお国柄、加えて公機関からの経済的サポートもないなどの理由から、耐震建築化の必要性は理解しながらも行わない家主・市区町村は多く、耐震レベルが相当不安な建物がイタリア中も多く存在しています。
さらに、世界遺産・文化遺産には耐震化工事を行い難い(というか、無理・・)という事情もあります。

《被害者数がこれほど多い訳は》
今回被害が甚大だった山村は、法律整備前に建設された石造りの建物、さらに金額のかさむ外装工事を行っていない建物が多い場所でした。過疎地域ではよくある状況です。
さらに、夏休み期間中だっために国内外からの観光客・帰省者で地域人口が増加していたこと、加えて週末に予定されていたお祭りに合わせて普段より多くの人たちが滞在していた、という理由もあります。
M・レンツィ首相は「これが閑散期の10月だったら・・」とコメントしていましたが、これは地震防災を怠ってきた為政者の言い訳にしか聞こえませんでした。国として今後は地震対策をしっかり取っていただきたいです。。(ま、無理でしょうけど)

逆に、震源地に近いながらも近年耐震建築化を進めていたノルチャ(Norcia)では、人的被害は一切出ていません。(こちらの記事も参照ください)
これは、イタリアでも大変稀な行政指導による耐震化工事が長年にわたり行われてきた結果ですが、今回の被害状況を目の当たりにしても、ノルチャに続く自治体が多くなるとは考え難いイタリアの厳しい現状があります。

《今後の地震防災に関するアレコレ》
人災ではないかと追及する声も出始めていますが、これについては「またか・・」といった雰囲気を感じます。
2009年のラクイラ地震の際、頻発していた前震・予兆を無視し本震発生直前に安全宣言を行った関係者(行政官と科学者)たちを糾弾する裁判がありました。結果、1審で求刑を上回る実刑判決、2審では科学者達は無罪・行政官に執行猶予付き判決が出ています。
で・・以上!!だったわけです(笑。
耐震化に関する啓蒙も、地震防災に関する対策も一切忘れられ(ま、イタリアらしいですけど)、現在に至ります。

今回の地震後、民間レベルでは地震防災に対する重要性が改めて認識されているように感じます。
世論に敏感な首相なので、過去に建築された建物にも一定の耐震化工事を義務つける法律・条令を議会に提出することも十分考えられますが・・莫大な費用になる、中世からの町並みが残るイタリア全土の建物に対する耐震化工事費用をどこから捻出するのか、また、費用負担を強いられるであろう団体(自治体か個人)から強烈な抵抗が予想されることから、今後の情勢も不透明です。

《救助状況や被災者をめぐるアレコレ》
夏といえど、少し高度のある場所では朝晩ひんやりするイタリア。
被災地も日没とともに温度が下がる地域のため、地震発生当日から緊急のテントが張られました。
また、軍・消防・警察などのエキスパートが懸命の救助活動に当たっています。

日用品については、25日夜の段階で「一時集荷中止」の連絡がありました。イタリア全土より、被災地に向けての緊急物資が十分な量集まった為、しばらく物資回収は必要ないとの判断のようです。
あとは無事に物資が現地に行き渡ることを祈るのみ。。

赤十字が真っ先にはじめた緊急募金も相当額集まっているようです。(日本から、募金先について多くのお問い合わせをいただきました。本当にありがとうございます)

さらに、マトリチャーナを食べて被災地を応援する活動なども始まりました。
「ずるがしこい」がほめ言葉の国なので、ラクイラ地震の際は復興資金の一部が行方不明になるなどイタリアらしい事件も発生しました。募金などをされたい場合は確実な団体を選んでいただきたいと切に思います。

イタリア中が一丸となって、さらに日本を含め他国からの援助もいただきながら、復旧・復興に向けた活動が始まっています。

《過去のイタリア国内の地震をめぐるアレコレ》
イタリアは日本ほどではないにしろ、立派な地震国です。
1000人を超える犠牲者を出した20世紀の地震を振り返ると、
・3万人を越える犠牲者を出した1915年(アブルッツォ州)
・1400人近い犠牲者を出した1930年(カンパーニア州)
・1000人近い犠牲者を出した1976年(フリウリ州)
・3000人近い犠牲者を出した1980年(カンパーニア州とバシリカータ州)
となります。
ほかに、100人規模の犠牲者を出した地震は数知れず。(こちらのページも参照ください)
地震が発生するたびに法律が作られ、改訂され現在に至りますが、前述の事情から特に経済的に苦しい過疎地域での耐震化工事が遅れているのが現状です。

《カラブリア州の地震についてのアレコレ》
カラブリア州も度重なる地震に苦しめられた歴史を持ちます。
1783年、メッシーナ海峡近辺で発生した地震では地震後の津波被害も含め推定3万から5万人の犠牲者を出しました。地震発生前後の1年間にカラブリア州全土で頻発した地震は「テーブルの上にビー玉を置くと必ずぐらぐらと動く」との逸話を残すほどのものでした。

20世紀になってからも、1905年(犠牲者数推定550~600人)、1907年(犠牲者数約160人)、1908年(犠牲者数、シチリアと合わせ約12万人)と20世紀前半に群発した地震で大量の被害者を出し、1970年代は被害者数こそ少ないものの、建物への被害が甚大だった地震が頻発しています。

《最後に》
今回の地震を教訓に、国・自治体主導の耐震建築への変更を求める声が上がっているようです。
イタリアならではのなんだかゆるい・そして相当ブラックな理由で実現度はかなり低いと思われますが、個人レベルで地震防災に取り組む人もいます。

たとえば、私が夏を過ごすPapasidero(パパシデロ)村も、1972年の地震で建物に大きな被害が出ました。
私たちの家も「居住不可」の判定が出るほどの被害が出ましたが、日ごろより地震防災の重要性を感じていた義父は当時の耐震化工事技術を結集して外装鉄筋構造に再建築、内部も大幅に補強し現行法に照らしても十分な耐震構造を持つ家としました。(建設会社を運営していたので耐震化工事についての知識があったこと、ソレをできる環境にあったことが大きな要因だと思います)

さらにCosenza(コゼンツァ)市の家は、建物全体に80年代後半に耐震化工事を行っています。
このような個人レベルでの地震防災への取り組みに加え、今後行政が防災対策に本腰を入れることによってイタリア全国の安全基準が高まりることを祈らずにはいられません。

観光客に戻ってきてもらうため、そしてなにより国民の安全のため、今後の防災計画/方針の行方を注視したいと思います。

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